サイバーエージェントの「人事・曽山哲人」誕生秘話|空回り人事担当を卒業できた原体験とは? ~サイバーエージェント/曽山氏(前編)~
経営の危機に人事が価値提供できることとは何か。
ジャンプ株式会社の代表・増渕が、プロ人事の方に、当時の状況や心情、取り組んだ施策などをお伺いするインタビュー企画「V字回復の採用戦略」。
第一回目となる今回は、株式会社サイバーエージェント取締役の曽山哲人さんにお話を伺いました。
本記事はその前編となります。(→後編はこちら)
株式会社伊勢丹(現:株式会社三越伊勢丹)を経て、株式会社サイバーエージェントに入社。インターネット広告事業部門の営業統括を経験した後、2005年に人事本部長に就任。現在は取締役として活躍する傍ら、人事イベントへの登壇や「クリエイティブ人事」「強みを活かす」などの著書出版など、情報発信にも積極的に取り組んでいる。
2008年、ジャンプ株式会社を設立。「働きたくなる会社を日本中に」をミッションに、採用力強化に特化した事業を展開。20年以上の採用コンサル経験をもとに、事業を伸ばす採用戦略フレームワーク「STRUCT」を開発。採用戦略オープン講座「STRUCT ACADEMY」を立ち上げ、主宰として指導にあたる。
増渕:
さっそくですが本日は、サイバーエージェントにとって経営が一番苦しかった時期の話。そして、経営が苦しかった時期に、人事はなにを考え、どんな貢献をしたのか。その辺りの話をお伺いできればと思います。
曽山:
私がサイバーエージェントに入社したのが1999年。その1年後、2000年にはマザーズに上場します。CEOの藤田が26歳という、当時、最年少での上場ということで話題にもなりました。
ただ、上場した直後に赤字に転落してしまったんですね。当時、私はまだ人事には関わっておらず営業マネージャーとして働いていて、経営陣はAmebaやABEMAのような高収益のサービスをリリースすることが、サイバーエージェントの持続的な成長に必要だと判断していましたから、私たちもいまは耐えて頑張るしかないと思って働いていました。
社員は納得感を持って働いていましたが、一方で、赤字であることに加えて、ITバブル崩壊の影響もあって株価は低迷していました。
当時、投資家の方や世間のみなさまからは、ずいぶん厳しいお声もいただきました。サイバーエージェントとして一番苦しく厳しかったのはこの時期だと思います。
増渕:
この時期は、曽山さんはまだ営業マネージャーをされていたとのことですが、人事や採用の面ではどんなことが起こっていたのでしょうか。
曽山:
急激に人員が増えたということが一つですね。私が入社した1999年はまだ20名ほどの組織でした。上場した翌年には100名、その次の年には200名、300名と、どんどん増える一方、離職者も増えていて、離職率は30%を超えていました。
はっきり言うと採用に失敗していました。結果、組織が大混乱に陥り、多くの方が退職する事態を招いてしまっていました。
月曜に入社した社員が、水曜には辞めてしまう。
増渕:
大混乱というと、いろいろと壮絶なエピソードがあるのではないかと想像しますが、話せる範囲で何かありますか。
曽山:
たとえば、月曜日に入社した人が水曜日くらいになると来なくなって、そのままフェードアウトしてしまうという。慌てて電話すると「もう来たくないです」なんてこともしばしば起こっていました。
もう一つは、こちらの方がより影響は大きかったと思いますが、採用基準を間違えた、ということですね。上場によって、これまでよりも学歴の高い方や有名企業出身の方のエントリーが急激に増えて、そこに飛びついてしまったのが失敗でした。
当時中途入社の方は、大手企業出身で28歳~29歳くらいの方が中心。みなさんマネージャーや部長役員などと肩書つきで入社される方が多かったんですが、異業種からの転職のため、私たちのビジネスに欠かせないネット関連の知識をあまり持ち合わせていなかったんですね。加えて、20代だとまだマネジメント経験が浅い方も多い。
そんな状態ですので、当然、メンバーに対して的を射た指示ができません。業務に詳しいメンバーのなかには反発する者もいたのですが、パワハラという言葉もまだ浸透していない時代でしたから、上司は厳しく指導するわけです。怒られた側はしぶしぶ従いますが、指示がよくないため結果はでません。
若手は怒られて辞めますし、結果がでない上司も居づらくなって結局辞める。さきほどお話したように、職場がこんな雰囲気だから、入社して2~3日で来なくなる人もいる……
転機は2003年、役員合宿で人事強化が決定される
増渕:
まさに悪循環ですね……。この大混乱の状況を、どんなふうに立て直していったんでしょうか。
曽山:
はい。2000年に上場して、決算は赤字で採用もうまくいかない状況で。そんななか、人事という意味で転機になったのは、私は当時、役員じゃなかったので参加していませんが、2003年の役員合宿です。ここで人事面を強化することが明確に決まりました。
合宿内で決まったのは、全社的な価値観統一を図るためのミッションやバリューを明文化することや新規事業プランコンテストなどの組織活性施策を行うこと。あと、社員を大事にする会社にする、という意思決定が明確になされました。事業も人もゼロから小さく生んで大きく育てようと。
議題に上がった施策を推進するためにバージョンアップ委員会というプロジェクトチームが立ち上がり、ここに私が営業部門の代表として参加できることになりました。
増渕:
まだこの時期は人事ではなかったんですね。
曽山:
そうですね。プロジェクトには営業マネージャーの立場として参加していました。
増渕:
実際に人事系のテーマに、オフィシャルなミッションとして初めて関わってみて、どんな印象を持たれましたか?
曽山:
このときはまだ、人事業務に近いことでいえば、営業部門の中途採用に関わったくらいしか経験はなく、人事に関わっているという意識はほとんどありませんでした。あくまでも会社をよくするための取り組みに参加しているという感覚です。
増渕:
そうだったんですね。ただ、このあといよいよ正式に人事部長として着任されるわけですよね。人事としての曽山さんのキャリアがスタートしたきっかけは何でしょうか。
曽山:
会社が人事を強化すると決めたのが2003年で、そこから2年くらいかけて様々な取り組みをした結果、離職率は20%くらいまでは下がってきました。
しかし導入した制度が充分に機能していなかったり、いわゆる”びっくり退職”のようなことも起きていたので、さらに改善を進めるため人事本部を立ち上げることが決まったんです。
人事本部長の件は、藤田からの直々のオファーでした。会社から期待をもらえたことはすごく有り難く、ぜひぜひやらせてくださいと。その場で即答するくらい前のめりに決断しました。
「人事を辞めて、営業に戻りたい」空回り続きの日々。
増渕:
いざ、人事本部長の任に就いてみてどうでしたか?
曽山:
まず、めちゃくちゃ空回りしてしまいましたね。
最初の半年くらいは、人事というものが本当によくわからなくて、自分にあってないと思いましたし、なんだったら人事を辞めて営業に戻ったほうがいいかも、と毎日のように思っていました。
増渕:
具体的にどんなことがあったんですか?
曽山:
社員の声にしっかり耳を傾けて、現場が困っていることを解消できるように経営に働きかけたり、評価制度を改善したり、かなり精力的に動いていたんですが…
増渕:
良い取り組みのような気もしますが…
曽山:
いえ…これが人事がおちいりやすい罠なんですよ。ポイントは何かというと、取り組んだことのどれもが”役員から期待されていたことではなかった”ということです。
もちろん、自ら提案して動くのは悪いことじゃないですよ。でも、あのとき私がすべきだったのは、役員が困っていることは何かをまず知りに行くことでした。
役員が課題に感じていることを人事の立場から解決できれば業績は伸びるはずなのに、それを後回しにして、自分が課題だと思い込んだことを独りよがりで頑張っていた。もっと言えば、現場の代表を気取っていただけですよね。
現場の声についても、耳を傾けているようで、現実は、自分が問題だと思うところだけ手を付けていたにすぎません。経営も、現場すらも見えていなくて、結果、空回りしていた。
増渕:
なるほど!…でもそれって悪気はないんですよね。
曽山:
そうなんです!だからこそ”罠”なんですよ。
当時そんなマインドでやっていたため、役員からある依頼を受けたことがあったのですが、最初は気が進まなくて。
というのも、依頼内容が、ある事業責任者へのネガティブな内容のフィードバックだったからです。その事業責任者の方は、私自身がよく知っている方で、いい人だというのもよく知っていたので、よけいに気が進まなかったですね。
人事の仕事とは何か?本質に気づかされた。
曽山:
フィードバックの面談では当然、厳しい対話を重ねることになりました。気の重い仕事でしたが、この一件で気づかされたことがあります。結果的にその方は会社を去られたんですが、あとで役員から感謝されたんですね。人事に異動して初めて。上司が抜けたことで「若手のモチベーションがあがって業績が伸びたよ、ありがとう」と。
これがまさに経営への貢献だったんですよね。そしてもう一つ意外だったのは「あのとき背中を押してもらえて良かったです」とフィードバックしたご本人からも感謝をいただけたことです。
自分一人で空回りしていたときには、頑張っても誰からも感謝してもらえなかったのに、経営の声を聞いて、現場に向き合うことで、経営からも現場からもありがとうをもらうことができました。
私は人事の役割についてコミュニケーション・エンジンと位置付けています。経営と現場の間に立ち、対話のエンジンになるのが人事の役割だと。それはいまお話ししたような原体験からきているのです。
経営と現場の板ばさみ状態こそ、人事の定位置
増渕:
経営と現場の間に立つ、という点についてもう少し詳しく伺えますか?
曽山:
はい。人事にとって一番大事なのは、経営と現場のコミュニケーションを回すことです。たとえば、経営側のメッセージは抽象的でざっくりしたことも多いため、それを具現化して制度化したり、ポスターを作って周知するなど、現場が分かるように伝えることが大事です。こういう点をふまえて、人事の役割をコミュニケーション・エンジンだと定義しています。
これだけだと上ばかり向いていそうにも見えますが、現実的に、現場の人が10人いたとして課題や不満など要望を聞きにいくと、みんなそれぞれ違ったことを言うんですよ。それは私個人も同じで、たぶん好き勝手なことを言います。でも、それは当たり前のことです。一人の人間としての個性だから。
それぞれが違った要望を持っているなかで、会社として全員の声に100%応えることが大事なのではなく、自分たちで何を正解にするのかを決めて成果を出すことが大事だと思います。
だからこそ、事業として目指す方向を軸として定めて、その軸が働く社員にとって面白いものになるように結び付けていくのが人事の役割だと思いますし、逆にみんながそれぞれ言ってくれる不満や問題の本質を見抜いて、経営にフィードバックするのも人事の役割です。経営と現場、それぞれの考えをキャッチして、伝わる形のアウトプットに変換する。ある意味で、一生、板ばさみになる仕事で大変なんですが、この翻訳と通訳の力が人事としてものすごく大事です。
大変なことも多いですが、自分のアクションで組織が動いたり、ある人のモチベーションが上がって目覚ましい成果を上げることもあります。変化を目の当たりにできます。自分の関わり方次第ですけど、こんなに面白い仕事はないと思いますよ。
サイバーだからできる、曽山だからできる、は真実か?
増渕:
続いては少し切り口を変えて、サイバーエージェントのV字回復に寄与した、より具体的な人事施策について伺っていきたいのですが、施策の話になるとよく聞こえてくるのが「サイバーエージェントだからできる」「曽山さんだからできる」という声です。
その取り組みは、本当に中小企業でもできるのかというのは、多くの人事の方にとって葛藤のあるところだと思うので、その視点も踏まえてお伺いできればと思っています。
曽山:
会社によって事情は様々ですから難しさもあるんですが、やれることはあると思ってますので、その点も踏まえてお伝えさせていただきます。
<曽山さんのインタビュー記事 後編はこちら>
増渕知行
代表取締役 クライアントパートナー
理想を追求し続けたら、起業に行きつきました。ジャンプは自分の人生そのものです。ジャンプはクライアントにとって、頼れる同志であり続けたい。社員にとって、燃える場所であり続けたい。約束は守る男です。週末は野球がライフワーク。
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