STRUCT REPORT
採用コラム

天職は、天からふってくるものでも運命でもない。

安井省人

私はもうキャリアというものについて、あらためて考えることはずいぶんと減った。考えるというより迷いがなくなったというだけかもしれない。目の前にキャリアの道が広がったり、分岐が見えた時に、単に決断にかかるスピードがあがっているだけかもしれない。そんな私も昔は「天職」というものがあるのだろうと思っていた。いつかどこかで偶然という名の必然があって、天から与えられた自分がやるべき私だけの仕事というものがあるのだろうと、「天職」という言葉の魅力に盲信していた時代があった。それは多くの人にきっと一度はある経験だろうと思う。そういうものを見つけようともがき、探し求めることが転職意向につながる。転職マーケットの活況はあいもかわらず、この「天職」というものへの「あこがれ」や「迷い」からくるものではないだろうか。
では、「天職」とはいったい何なのか?
無題1

自分に嘘をつく必要のない居場所

あくまで私見だが、「天職」という場所があるのだとすれば、それは「自分に嘘をつく必要のない居場所」だと私は思う。上司から「この仕事やってみるか?」と言われた時、上司の顔色を伺いながら、やりたくもない仕事に「やります!」と言ってみたり、本当はいい商品だと思ってもいないものを「絶対お役に立てる商品なのでぜひ!」とクライアントに勧めてみたり。そんな嘘の積み重ねがある環境は、まず「天職」たりえないと思う。本当はいい商品だと思わなくても、本気で顧客にその商品を勧められるなら、つまり嘘をつく感覚ではなく、営業ができればそれはある意味「天職」の可能性は残る。しかし多くの場合、それらはストレスや違和感を生む。仮に苦しいことや悩みが訪れても、自分がやりたいことや成し遂げるべきことのために、その代償を払うことが容易にできるならその場所はあなたにとって、いるべき場所であるはずだ。
無題2

やるべき仕事、できる仕事、やりたい仕事

キャリア教育などで「WILL」「CAN」「MUST」で考えよう、ということをよく耳にする。それはキャリアを考える手段としては適切なものだし、それを否定する気はない。しかし、そういうことではなく「息をするようにする仕事」というものがあると私は思っている。生きていることと感覚を一つにするようなある種の錯覚であるかもしれない。こういう仕事ができるようになるとワークとライフは区分できなくなる。世に言うワークライフバランスは意味をなさなくなる。「働き方改革」と言いながらやる「残業撤廃」や「リモートワーク」は適切な面もあるかもしれないが、仕事をしたい時にできなくなり、仲間といたい時にいられないのは、すでに不自然を生んでいる。これでは「息をするようにする仕事」はできない。強制でやるものは結局自由の抑圧にしかならないのではないだろうか。リモートワークしたければすればいい。残業したければやればいい。そうできる環境が理想なのかもしれないが、なかなかこれを実現できる組織というものはないようだ。人は集まるほどに、他人を牽制し、自己の存在意義を確かめようとするものだから、自由な個人というものを認め合うことが難しい。いま、私たちの仕事に問われているのは、個を認め合う集団づくりなのかもしれない。それがあれば今の居場所を「天職」だと考える人は増えるのではないだろうか。

安井省人
取締役 クリエイティブディレクター

組織活性につながるクリエイティブとは何か?問題の本質は何か?を追求する毎日。近道でも回り道でもゴールに繋がるプロセスを大切に、現実にも夢にも向き合いたいと思っています。二地域居住の週末田舎暮らしやってます。


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