STRUCT REPORT
採用コラム

「成長」を絶対価値にすると息苦しくないですか?

安井省人

仕事をしていると「成長」をつきつけられる場面によく遭遇する。事業成長、自己成長、チームの成長。わたし自身、成長をしたくないなんてことはないが、成長が「目的」になると、窮屈で仕方がない。変化とか進化とかも同じだ。言い換えにあまり意味はない。それそのものが目的になると結局は同じだ。成長や変化、進化を求められるとき、自分の現在地への自己否定になるような気がするのかもしれない。なぜ変わらなければならないのか?なぜ今のままじゃいけないのか?そう考えることもあるだろうと思う。だから上司に「成長しろ」「なぜ変われないんだ」と言われて、反発を覚える人たちがいることも、たいへん共感できる。しかし、世の中は、少なくともビジネスにおいては成長第一主義が大半だ。そして、さらに悪いことに「インスタ映え」や「ランキング」重視の評価型社会がそれを後押ししているように思う。では、「成長」はしなくてはならないのか?しなくてもよいのだろうか?そして、「成長」とはなんだろうか?
無題1

「成長」は、目的ではなく単なる結果と考える。

私は「成長」を「自分を好きになるための活動」の結果と考える。あくまで活動の、結果、成果と。小さい頃、私は泣き虫だった。自分で言うのもなんだが、よく泣いた。同時に私はそんな自分がたまらなく嫌いだった。当時は泣く意外の対応策や表現を知らなかったから、よく泣いたのだと思う。たとえば、友人に何かしらの暴言を受けたとする。その時に何をどう反論し、どんな意見を言うか。またはそうならない対策をする、自分の行動を変える、いずれの選択肢も持ち合わせていない結果、泣くということでしか消化することができなかったのだと思う。これが時を経て経験を積むと泣く以外の表現を身につけ、ちがう対応ができるようになると泣く機会は減っていく。成長とはたったこれだけのことなのだ。ありのままの自分が、ありのままの自分でいられるように経験を次の経験へとつなげる活動と言ってもいい。自分を好きでいるためにどうすればよいかを考える。それが成長へとつながっていくのではないか。
無題2

承認欲求を満たすことと、自分を好きになることはちがう

facebookやインスタでいいね!の数にこだわることってありますね。あれは、承認欲求のあらわれだと思う。誰かに認められたい、共感されたい、自分らしくない普段のありのままの自分ではない存在を創り出す。おしゃれな服、いい旅、いい食事、いい仲間、いい仕事、そんな輝かしい自分、格好いい自分を演出しはじめ、いいね!やインスタ映えを求めるとどんどん本当の自分からかけ離れていってしまう。そんな承認欲求を満たす行動に喜びを見出すことすべてをNOとは思わない。そうやって自分というものを確認することもいいだろう。しかし、そういうことにある種自覚的である方がいい。それにあまりに依存したりすると、いつまでたっても自分自身が本来の自分からどんどんと遠い存在になっていき、結局自分のことをまったく好きになれないようになっていく。インターネットやSNSの普及で多くの周囲の存在が気になり、自己がちっぽけに見えたりする。そんないま、承認欲求が高まることは致し方ないのかもしれない。しかしそれを満たすことに奔走して自分を見失ってはならない。昨日より明日の方が、自分のことを好きだ、と言える。そんな積み重ねを生きてみてはどうだろうか?今まで出会いそびれていた「成長」がついてくるかもしれない。

安井省人
取締役 クリエイティブディレクター

組織活性につながるクリエイティブとは何か?問題の本質は何か?を追求する毎日。近道でも回り道でもゴールに繋がるプロセスを大切に、現実にも夢にも向き合いたいと思っています。二地域居住の週末田舎暮らしやってます。


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