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期待が、凡人をだめにして、エリートをさらに強くする理由。

人材育成

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「人材はどうして二極化するのか?」「デキル人とデキナイ人の何がちがうのか?」

努力をしない、学びが足りない、地頭がいい、よく働く、いろんな理由をつけることは簡単だが、デキル人とデキナイ人にわかれる理由のひとつはマネジメントもしくは評価する人の気持ちにある。デキル、デキナイと「感じる」ことには理由がある。

人の成長曲線というのはたいていこうだ。経験を積めば積むほどに成長するし、多くの場合は、初期に大きく成長し、その成長カーブは徐々にゆるやかになっていく。
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1から10を学ぶと言われる人はこの成長度がより急角度に昇るし、そうでない人は緩やかであるという個人差はある。問題なのは、その人を評価する人の「期待」だ。この図に期待を重ねるとこうなる。
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赤い成長曲線に対して評価者Aの期待は常に期待を成長が上回っている。この場合常にAのこの人材に対する評価はデキル人であり続ける。しかしながら、成長を期待が上回ってしまうBのケースでは赤と青の曲線の交差点を境にデキナイ感が増幅していく。

ひとつのポイントは、この評価者が感じているデキル感、デキナイ感を評価される側が同様に感じられているかどうかである。これが分かれ道の一つなのだ。これを感じられる人材は、デキナイ感を埋めようとしたり、デキル感を広げようと行動することができる。しかしこれを理解しない、もしくは自分の成長曲線がのぼっていることを理由に、理解していてもその事実に向き合わず、自分にばかり目が向いている人(=凡人)は、相手との距離を埋めることができない。これがデキナイ人の典型である。

一方、エリートは相手の期待値を知っていて、それを超えようと行動するから、自身のデキル感を高め、自身をエリートでいさせ続けることができる。期待が高まれば高まるほど、さらにそれを上回ろうと行動することができる。これが個の力が求められる現代において評価が二極化していく原因である。

コミュニケーションが、デキナイ感を広げる。

期待が成長を上回る時、ここで多くの場合、マネジメントに位置する立場の人は「指導」をしようとする。もちろんそれ自体はまちがってはいない。ただ、デキルデキナイだけの関係でいうとこの「指導」に危うさが潜んでいる。
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指導者はこの「指導」の中で、「期待」を高めてしまう傾向にあるからだ。「指導」でなく、「コミュニケーション」も同じだ。こういうケースに陥った場合、指導者はコミュニケーション量を増やそうとする。この場合もコミュニケーションを増やすことそのものには問題はない。素晴らしいことだ。しかしながら、コミュニケーションによって、同様に期待を高めてはいけない。そうなると、指導者の鬱憤はさらに増加し、二人の関係はさらに悪化の一途をたどる。このデキナイ感を指導者自身が、自分でセルフマネジメントできるかどうかはとても重要な一面なのだ。

デキル感の距離は開きすぎると、凡人の理解を超える。

もうひとつ重要な点がある。それはデキル感の距離だ。評価する側の青い曲線にいる人間が凡人であると別の現象が起こる。
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一定の距離にいて、デキルと思えている内はいい。この距離が非常に開きを大きくする場合、人はその対象を「天才」と呼ぶことがあり、同時に「変人」と呼ぶことがある。「天才」と呼ぶか「変人」と呼ぶかは実は評価する側が、その距離を理解できるかどうかにかかっている。そして、これを評価することは容易ではない。さらに、ここにこそ「イノベーション人材」が隠れていることが多いから厄介である。そもそも「天才」や「変人」はこの距離を意識さえしていないことが多い。はみ出す線路の幅が広がっていくことに気づいているのに、さらにはみ出そうとはなかなかできないものであるからだ。職人はアーティストにはなれないというが、期待を感じてデキル人になる人と期待を感じることのできない(感じることをしない)天才の隔たりは、これが理由である。

世の中は、殊更にイノベーションを求めている。そして、それを実現する人材を求めている。しかしながら、実はそれを評価できる人材や仕組みこそが重要なのではないか?
期待を超える圧倒的な個を見つけ出し支える存在こそが、世界をイノベーションに突き動かしていくのではないだろうか?

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安井省人

取締役 クリエイティブディレクター

組織活性につながるクリエイティブとは何か?問題の本質は何か?を追求する毎日。近道でも回り道でもゴールに繋がるプロセスを大切に、現実にも夢にも向き合いたいと思っています。家庭では、双子育児に奮闘中。